甲府地方裁判所 昭和24年(行)21号 判決
原告 宮下智子
被告 山梨県知事
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、請求の趣旨
被告が昭和二十三年十月十五日山梨縣南都留郡勝山村第九十五番宅地(現況畑)一畝十六歩を小林次己に賣り渡した処分の無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。
三、事 実
原告訴訟代理人は、その請求の原因として述べた事実の要旨は次のとおりである。
「一、本件土地はもと訴外宮下喜四藏の所有で、昭和四年六月十二日宮下敏治が家督相続によりその所有権を承継したものであるが、喜四藏在世中より訴外小佐野国雄が右土地のうち三分の一を、小林次己がその残りである三分の二をそれぞれ分割して賃借耕作していた。その後、今次大戰で空襲が激化するや、当時靜岡市用宗町に居住していた宮下敏治は勝山村に帰村定住することを希望し、本件土地の返還方交渉を親族である原告に依頼して來たので、原告は同人の爲右小佐野、小林両名に右土地の返還を求めたところ、右両名もこれを承諾し、昭和二十年十月初旬右土地を引き渡したので、爾後原告が敏治から、同人の帰村する迄という約定で、右土地を賃借して耕作の用に供して來たのであるが、昭和二十一年一月三十日小林次己から右土地中同人の返還した部分の一部約五坪を新に貸與されたいという申出を受けたので、これを承諾して約五坪を同人に耕作させることとした。
二、ところが、居村勝山村農地委員会は、小林次己の遡及買收請求により、同人が本件土地の昭和二十年十一月二十三日現在における小作人であるとして、右土地全部につき買收計画を定め、被告は右計画に基いて、昭和二十二年十月二日附買收令書によつてこれを買收したが、更に右勝山村農地委員会は小林次己の買受申込により昭和二十三年六月十八日右土地を同人に賣り渡す旨の農地賣渡計画の決定をなし、被告は右決定に基き賣渡通知書によつて同年十月十五日これを小林次己に賣り渡す処分をなし、原告は同年十一月上旬その処分のあつた事を知つた。
三、しかしながら被告のなした本件賣渡処分は次のような理由によつて無効というべきである。
1、前記のとおり本件土地はそれぞれその賃借人であつた小林次己及び小佐野国雄から、宮下敏治の代理人である原告が、その賃借部分の返還を受け、引渡を了しているのであるが、小林次己は勝山村農地委員会に対し昭和二十年十一月二十三日現在に於いて同人が右土地全部の小作人であつたと虚偽の申立をして遡及買收を請求し、更に買受の申込をして同委員会構成員を欺き、これを通じて縣農地委員会及び被告を錯誤に陷れ、関係書類に不実の記載をさせた結果、被告の本件賣渡処分がなされたのであるから、小林次己の右行爲は宮下敏治の財産及び原告の耕作権を騙取した犯罪行爲ともいうべきである。
よつて被告の賣渡処分は小林次己の詐欺に基く、要素の錯誤あるものであつて、無効である。
2、昭和二十年十一月二十三月現在原告は本件土地の全部を賃借耕作していたのであるから、本件土地の買受資格は原告だけが有しているのに、被告がこれをその資格のない小林次己に賣り渡したのは無資格者に賣渡したもので、自作農創設特別措置法第十六條、同法施行令第十七條の規定に違背して無効である。
3、前記のとおり本件土地買收の時期における賃借人は原告であるから、自作農創設特別措置法第十二條第二項に依つて、政府の買收により本件土地には原告の爲從前と同一條件の賃借権が設定されているのであり、右賃借権は農地調整法第八條第一項により第三者に対抗し得るものである。從つて被告が右土地を小林次已に賣り渡した処分は右法條に違背して無効という外はない。
4、本件土地買收処分は、所有者を宮下喜四藏名義としてなされているが、宮下喜四藏は前記のとおり昭和四年六月十二日に死亡しその所有権は相続人宮下敏治に承継されているのである。從つて死亡者に対する買收処分は無効であり、これを前提とする本件賣渡処分もその効力を生じない。
5、前記のとおり小林次己は本件土地につき買受資格がないのに、被告がこれを同人に賣り渡した処分は原告の耕作権を侵害したものであつて、日本国憲法第二十九條、第十一條に違反し無効である。以上のように本件賣渡処分はいずれの理由によるも無効というべきであるから、その確認を求める爲本訴に及んだのである。
四、なお原告は被告の主張するように、本件土地につき買受の申込をしなかつたことは事実であるが、買受の申込をしないため自作農創設特別措置法第十九條に依り異議訴願をなし得ないとしても、前記のとおり原告は昭和二十年十月初旬以來本件土地につき賃借権に基いて耕作の業務を営んでいるのであるから、被告の本件賣渡処分によりその賃借権を喪失するのであり、右処分の無効確認を求める利益がある。」
被告指定代理人は、原告の請求棄却の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。「原告の主張する事実中、本件土地がもと宮下喜四藏の所有で、宮下敏治が相続によりその所有権を承継したこと、右土地を小林次己が喜四藏在世中より賃借していたこと、小林次己の遡及買收請求、及び買受申込により原告の主張するような買收手続及び賣渡手続がなされたこと、本件土地を宮下喜四藏所有名義で買收手続をした事は認めるが、その他の事実は否認する。宮下喜四藏の所有名義で買收手続をしたのは公簿上喜四藏の所有名義になつていたためである。なお原告は本件土地につき買受の申込をしていないから本件買收処分の効力を爭うために本件訴訟を追行する適格がない。」
四、理 由
原告主張の土地につき勝山村農地委員会が小林次己の遡及買收請求により同人が昭和二十年十一月二十三日現在における本件土地の小作人であるとして買收計画を定め、これに基いて被告が昭和二十二年十月二日附買收令書によつてこれを買收した上、更に右小林の買受申込により同委員会が本件土地を同人に賣り渡す旨の賣渡計画決定をなしこれに基いて被告が昭和二十三年十月十五日これを小林次己に賣り渡す処分をした事実は本件当事者間に爭いがない。
被告は原告が本件土地につき自作農創設特別措置法第十七條に規定する、買受申込をしていないから本件賣渡処分の無効確認訴訟を追行する適格がないと主張するので、この点につき考えてみるのに、原告が本件土地買受の申込をなさなかつたことは当事者間に爭なく、自作農創設特別措置法第十九條によれば同法第十七條の規定に依る買受の申込をした者だけが農地賣渡計画に対して異議訴願をなし得る事を定めているが、同法第十八條第三項に農地賣渡の相手方は同法第十七條の規定による買受の申込をしたものでなければならないと規定しているのは、農地を買い受けるかどうかは買受資格者の自由意思に委ね、買受を強制しない趣旨であつて、政府は買受資格者が唯一人であつて、その者が引き続きその土地を耕作するの意思はあるが、買受は希望しないというときは、これを他の希望者に賣り渡して、その耕作権を奪うことはできないものと解すべきである。そして原告は本件土地について唯一人の買受資格者であることを主張しているのであるから、買受の申込はしなくてもこの土地が第三者に賣り渡されたときは、その賣渡処分の効力を爭うために訴訟を追行する適格があると云はねばならず、この点に関する被告の主張は採用できない。そこで被告のなした本件賣渡処分につき原告がこれを無効であると主張する理由について考えて見なければならない。
一、原告は先ず本件買收及び賣渡処分は小林次己の虚偽の申立による詐欺行爲にものづくもので、要素の錯誤があるから無効であるというが、意思表示は法律行爲の要素に錯誤があつたときは無効とするという民法第九十五條の規定は、本件のような行政処分には適用がないと解すべきであるから、仮に小林次己に詐欺その他の不正行爲があり、被告の賣渡処分が錯誤にもとづくものであつても、それだけの理由ではこれを当然無効ということはできず、ただ、当該処分廳においてその錯誤を理由に右処分を取り消し得るに止まるのである、又その錯誤の結果右処分が違法の内容をもつことになつても、それは買受資格の有無についての認定に関するものであるから、右行政処分取消の原因となり得るに過ぎず、右処分を当然無効というのは当らない。
しかも市町村農地委員会は農地調整法第十五條の十九の規定によつてその権限に属する事項を処理するため必要があるときは農地の所有者、耕作者その他関係人に出頭を求め、必要な報告を徴し、又は委員若しくは委員会の事務に從事するものとして農地その他必要な場所につき所要の調査をなさしめ得るのであつて、自作農創設特別措置法第六條の二(昭和二十二年法律第二百四十一号による改正前の同法附則第二項及び当時の同法施行令第四十三條ないし第四十五條)の規定に依り、小作農から農地買收の請求があつたときは、請求通りの農地買收計画を定めることの可否について審議し、請求者のいうところが眞実でないと認めるときはそれに從う必要はない。又同法第十七條の規定する買受申込についても、買受資格の有無の認定については、その申込に拘束されることはなく、眞実買受資格のあるものから買受の申込があつた場合にのみ賣渡計画を樹立することを要するのであつて、賣渡計画も買收計画と同様、農地委員会独自の立場で定めるものである。從つて原告の主張する所から窺われるように耕作権の帰属に爭いのある本件土地について、小林次己の請求及びその買受申込に基き被告のなした行政処分が原告の言分と齟齬しているからといつて、直に同人の詐欺行爲に因り農地委員会や被告に錯誤があつたものと考えなくてはならないものでもない。いずれにせよ、錯誤が当然行政処分の無効を來さないものと解すべきこと前記説示のとおりである以上差し当つては、原告の主張するような錯誤の有無について判断するまでもなく、これを理由として本件処分を無効とする原告の主張は採用できないことは明らかである。
二、次に原告は本件土地について原告が唯一の買受資格者であるのに被告がこれを小林次己に賣り渡したのは違法であつて、右賣渡処分は無効であるというのであるが、仮に買受資格の有無の認定に誤りがあつて、自作農創設特別措置法第十六條、同法施行令第十七條の各規定に違反するとしても、前説示のとおり、かかる違法は右賣渡処分の取消原因とはなつてもこれを無効ならしめるものではなく、原告の主張は理由がない。
三、次に原告は右賣渡処分は自作農創設特別措置法第十二條第二項、農地調整法第八條第一項の規定に違背して無効であると主張するが、前記のとおり勝山村農地委員会は昭和二十年十一月二十三日現在に於ける本件土地の耕作者を小林次己であるとして賣渡計画を定め、これに基いて被告が賣渡処分をしたものであるから、仮に原告が本件土地の買收の時期における賃借人であつて自作農創設特別措置法第十二條第一項第二項の規定により原告の爲從前と同一條件の賃借権を設定されたとしても、右賃借権は同法第二十二條第一項により消滅すべきものであるから、これあるの故を以て、右賣渡処分を無効であるとする原告の右主張も理由がなく、採用の限りでない。
四、原告は更に本件買收処分は死亡者に対してなされたものであるから無効であり、これを前提とする賣渡処分も無効であるというのであるが、買收処分の対象となつた土地の所有名義人が既に死亡して居り、所有権が相続人に移轉している場合であつても、農地買收処分のような行政処分においては土地所有者の表示を誤つたものに過ぎず、当該処分は結局現在の権利者である相続人に対してなされたものと解すべきものであつて、その爲その処分が無効となるというようなものではないから、原告の右の主張もまた理由がない。
五、さて最後に、原告は本件賣渡処分は原告の賃借権及び耕作権を侵害するものであるから、憲法第二十九條及び第十一條の規定に違反して無効であると主張するが、前記のとおり本件土地は昭和二十年十一月二十三日現在において小林次己がその小作人であるとして遡及買收され、同人に賣り渡されたものであつて、右各行政処分はいずれも自作農創設特別措置法に根拠をもつものである。而して右自作農創設特別措置法は、農業生産力の発展と農村の民主化傾向の促進を目的とするものであり、同法に基く自作農創設のための農地買收及び賣渡処分は廣く公共の福祉を目的とするものと謂い得るのであるから、自作農創設特別措置法の賣渡手続に関する規定自体は何等憲法第二十九條に違反するものでなく、從つて又憲法第十一條に牴触するものでない。そこで右自作農創設特別措置法の規定に基いてなされた本件賣渡処分が憲法の右條規に違反して無効であるという原告の主張もその理由がない。しかのみならず若し右買收の時期における本件土地の賃借人が原告であるとすれば、自作農創設特別措置法第二十二條第一項の規定により原告の前示賃借権は賣渡の時期に消滅することになるが、同條第二項、第三項によれば、原告はその権利の消滅に因つて通常生ずべき損失の補償を政府に請求できるのであつて、原告の財産権の不当な侵害ということも当らないのである。
以上原告が本件賣渡処分を無効として主張するところはいずれも理由がないから、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條、第九十五條を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 入山実 石田実 宮沢邦夫)